夏のやり過ごし方(アラ還とタンクトップ編)

近所にあるモールで可愛いタンクトップを見つけたので、そこまで胸元も開いていないし、「これならばアラ還の私でも可愛く着こなせそうだ」と、値段が手頃だった事もあり、特に試着もせずに手に取り買ってみた。

さすがに二の腕丸出しはおこがましいので、上から白シャツなり何なり羽織ればちょっと可愛らしい女子を演出出来そうだ。

4年前からおうちヨガを始め、下腹の問題はなかなか解決しないものの、まだまだくびれは確認出来るし、体だってその辺の同年代のおばさんよりはしなやかだ(と自負している)。毎年の健康診断で腹回りだけは着実に1cmずつ増えてはいるが、体重はキープしている。襟ぐり、腕周りを縁取られた太いラインの濃いブルーは夏の青空に映え、それを着こなす私はコロナ開けの暑い季節をすがすがしく過ごせそうだ。

けれども私は決定的に気付いてしまった。

胸元の開いたタンクトップが似合うのはもう遠い過去の事だと。

初めて袖を通した日。

「うわっ可愛いじゃないですか~」という後輩達からのお褒めの言葉だけを思い描いて、このタンクトップの上から薄いピスタチオ色のカーデガンを羽織り白のパンツを履いて出勤する。職場へ到着すると、いつものルーティンでトイレへ向かい、手を洗い鏡を見る。

位置が違う。

ラインの位置が違う。

襟ぐりの太ラインの位置が違う。

濃いブルーの位置が違う。

ずれてる。

下にずれてる。

家を出てくる時は、結構イケてる自分を鏡で確認してきたはずなのに、だらしなく下にずれている。

仕方が無いので肩のあたりを掴んで、手でずりあげてみる。背中の下の方に手を回して裾を引っ張ってみる。うーん、これは汗をかいて生地がへたったからか?

とりあえずこれで様子を見てみることにしたが、エアコンがガンガン効いている室内でタンクトップがシャキッと生き返ってもこの状況は変わらなかった。というよりも、時間が経てば経つほど太ラインは落ちてくるのだ。

これはどういうことだ。

鏡に映してみる。窓に映してみる。前、後、左横、右横、背中。色々な角度から映してみた結果、実に恐ろしい事に気が付いてしまった。

散々、色々な情報番組やらで加齢に伴う体の変化について知識を詰め込んでいるつもりだったが、この日始めて自分の体に起きている恐ろしい変化をまざまざと見せつけられたのだ。

両肩が前に丸くなっている、鎖骨から胸に掛けての筋肉がみすぼらしく下にさがっている、というより無い。あぁ、だからあの若々しい紺青色の太ラインも力なく私の胸を滑り落ちてくるのだ。これこそがあの、よく言う重力に負けた体なのだ。

いや、これまでもそれなりに体型の変化を感じることはあった。白いTシャツが似合わなかったり、ジーンズをはくと、お尻から太ももの付け根にかけて、これまでなかったごわつきを感じたりだとか、まあそれなりにあったけれども、骨格からまざまざと見せつけられたのはこれが初めてだった。

もう、驚愕である。けれども落ち込んでいる暇はない。この寂しげな胸元をなんとかせねばならない。抗うつもりはない。

ということでタンクトップの前と後をひっくり返してみた。

結構いい具合になった。

外出の途中に入ったトイレの鏡で、タンクトップの寂しい胸元に気付いた方、これは結構使える。

 

 

 

 

 

 

 

半年に一度位の割合で、街ですれ違う人がいる。彼はいつも自転車に乗って。

25,6年ほど前に出入りしていたBarで知り合った。

おそらく70年代に開店し、20年ほど前に無くなったその店は、地元のアート界隈ではちょっと知られたお店で、クセの強い美術家、舞踏家、演劇人からその他諸々、まあそんな”アングラ”な人たちが集っていた。ママさんが自分達で塗ったと言っていた漆喰の壁には泥臭い現代美術の匂いプンプンの絵画が掛かり、棚にオブジェが並ぶ。

そこには1代の古いアップライドピアノがあって、私はいつも一人で飲みに行ってはピアノを弾かせてもらっていた。

ある日、座ったカウンター席の3つ4つ向こうの席に彼も座って一人で飲んでいた。

こいつもピアノを弾くのだとママさんが言った。ピアノを弾いてみたくてワンルームの部屋に電子ピアノを買い込み、仕事が終わり家に帰っては練習しているのだと。

同年代と言うこともあり、音楽や映画やアートの事なんかの話題ですぐに意気投合した。

別に男女の仲になった訳ではない。良い飲み友達が出来たという感じだ。

まだ携帯電話がそんなに普及していない時代だったので、よく家の電話で話し、週末の夜には自転車に乗って二人で色々なお店に飲みに行った。彼はちょい飲み出来て、料理も美味くてちょっと小洒落たお店を良く知っていた。

私が結婚し子供が出来てからはちょっとずつ疎遠になり、出かけた時にバッタリ出会った時はお互いの近況報告などして別れる。

けれどもここ数年前からわざわざ自転車を止めて会話を交わす事も、すれ違いざまにさっと左手を挙げて振っていく事も、チラッ私の顔を確かめて行く事も無くなった。

もうすれ違うことも無いかもしれない。

 

 

親離れされた記念日

35才で出産した後、色々と前途多難な出来事が降りかかり、決して順風満帆とは言え

ない人生だったから、我が子が二十歳になる年の自分の誕生日は、もっと感動的に迎えるはずだった。。。。。のに、のにのに。2,3日前に夕飯の支度をしていると、

わが子:XX日(マイ・バースデー)友達とご飯行きたいんだけど。

母:はぁ。........で?

わが子:お金がもう無くて、いくらか貸してほしい.....。(常套句)

 

マジか、母のめでたい日に君はお友達とご飯食べに行くのか?

いやいやいや、そう見せかけといて案外ステキなサプライズを用意してくれているのかもしれない。用意しているのかもしれないけれど、不足が生じたために、何かちょっと筋が違うとは思いながらも、いつもの常套句でうつむき加減にお願いして来たのかもしれない。いや、万が一ほんとに出かけるのだとしても親としては無碍には断れず...。結局、学生が”ノン”アルコール外食で困らない程度にいくらか貸してあげた。

 

XX日。

この日に限って残業をしなければならない程の激務をこなし、PCを閉じ、書類をしまい電話なんかが鳴る前にバタバタと逃げるように会社を後にしてから、家の近所のスーパーへ。何せ今日は祝われる日なのだから。明日は有休を取ってある。ビールを買う。麦焼酎を買う。締めのアイスも2つ。

祝われる身分でありながら...と若干しゃくに障りながら、夕飯の支度。ええい、このクソ暑い中やってられない。こなれたオジさんなみに焼きうどんとビールでも良いではないか。フライパンを振っている間も祝ってくれる人間達は帰って来ない。いや待てよ。やはり、我が子は夫と帰り際に示し合わせて、何らかのステキなサプライズを考えてくれているのかもしれない。

そんなこんなしていたら美味い焼きうどんが出来上がり。同じくして夫のみご帰還。

「はいママ。お誕生日だよね。ケーキ買ってきた。ママ、ピスタチオ好きでしょ。ピスタチのケーキ。後でみんなで食べよ。あれ?TTTいないの?」

・・・・・・・・・・・・・。いやぁ、ありがと、ありがと、ありがと。でもねぇ・・・

「それがね、お店に行ったら予約しないとダメとかって言われてね、”えぇ~っ!”って言ってたら、”あっ、キャンセルがあったみたいなんで、チーズケーキと一緒だったらお売りできます”って言われて2個買ったんだよね。ハハハハ。」

ほぉ・・・・・。で、いくら払ったんだ?

「5,500円。ハハハハ。」

 

そうか、だからあなたは先週「お小遣いが無いから、頂戴」と言ってきたんですね。

 

夫と一緒に歌番組を観ながら焼きうどんを食べる。アラ還の夫婦、焼きうどん、昭和歌謡ショー。ぐうの音も出ない。ピスタチオのケーキを食べる。ついでに味比べでチーズケーキも食べる。ビールは飲まない。焼酎も飲まない。

 

 

 

 

 

 

マンネリ。。。。

今週のお題「朝ごはん」

1.老体にむち打ってる轟音ジューサーで作る小松菜ジュース

 材料:小松菜1束分くらい、にんじん輪切りを3,4切れくらい、リンゴ4/1個分くら  い、バナナ4/1本分くらい、はちみつ小さじ2,3杯分くらい、水少々

2.種なしプルーン2個

3.ゆるっと温めた牛乳1杯

4.トーストした食パン1枚

ほぼほぼ、ここ10年くらい毎日同じメニュー。ちなみにこれらの準備をしている間に黒ニンニク2片、お酢を大さじ1杯流し込むのも変わらないルーティンという事で。。。

そんなもんだから、たまの土日くらいはちっとは趣向の違う物をと思いフレンチトーストなんか作ってみたりもすると、これが結構美味しくて。結果、毎週土日は「トーストした食パン」→「フレンチトースト」が定番化し、となるとマンネリ化脱却を試みたつもりが、再マンネリループにはまってしまい。。。。

結局、元の鞘に戻った。